若かりしころの思い出。おとうさん北海道縦断物語もいよいよ最後のお話です。
帰りの道のりも残すところあと100㎞とちょっと。
冷めたい雨と強い風邪に震えながらペダルを踏みます。
帰ったら温かいお風呂と家族が待っている。あとは安全に帰るだけなんだけど…
はたして神様は素直に帰らせてくれるのか?12日間の縦断の軌跡。
ご覧ください。
8月20日 雨
約2週間のこの旅もいよいよ自宅に帰るだけ。
もう少し続けていたい気持ちと、家族に会いたい気持ちが交差する。
そんな記念すべき日の朝は、宗谷岬で迎えた朝と同じく冷たい雨が降っていた。
寒さと興奮でいつもより少し早い4時に目が覚める。
最後に残ったスパゲティを茹でて、雨が止んだすきに手早くテントをしまう。
手早くと言っても両方の手は親指と人差し指以外、小樽からつづく痺れで機能していない。
痺れと寒さでうまく動いてくれない体でなんとか自宅を目指す。
苫小牧でとうせんぼ
鵡川(むかわ)から苫小牧(とまこまい)までは道東道と並走する国道235号線を走る。
高速道路と並行する道なので車の通行量は少ない。
雨と寒さ以外は快調に進む。(にしても寒い)
鉄道で言うと千歳線と室蘭線の分岐の交差点から左折して苫小牧に入る。
一気に通行量が増えて車道を走るのが怖い。
苫小牧はそれなりの街で歩道が広いので、上がってゆっくり走ることにした。
すると突然歩道が無くなり(北海道の中途半端な街にはよくあることです)大きな橋に差し掛かった。
通勤時間で通行量はさっきより増えている。
橋の手前は住宅街なのでどこか違う道があるだろうと探したけど、それらしい道は無い。てゆうか寒さで思考能力が低下して、探すということが億劫になっている。
仕方がないので意を決して橋に突っ込むことにした。
車の流れが切れたときにスタートしたけど、重い荷物を積んだ自転車のスタートは鈍足だ。
おまけに橋の始まりは上り坂。あっという間に車の群れに巻き込まれる。
田舎の一本道ならそんなに避けなくてもいいよっていうくらい避けてくれるけど、通勤時間のドライバーは殺気立っている。ふらつく自転車の横をギリギリですり抜けて行く。
ようやく下りに入った。
北海道では雪解け水が道路に溜まって凍るのを防ぐために、道路の脇に溝が彫られていることがある。
その上を細いタイヤで走ると滑るばかりか、ハンドルを取られるので非常に怖い。
それがカーブの途中で出て来た。
握力が無いのと雨で効かないブレーキを握って「ぉぉぉぉお」と言いながらで何とかコントロールしていたら、とつぜん
Fhoooooooooooooooooo‼!❣❣!❣!❣!❣
と二人乗りの原付のあんちゃんに応援?された。
思い切りふら付いたのをなんとか立て直すと、通り過ぎたうしろの半キャップのあんちゃんが手を振っていた。
苫小牧市街 サラリーマンの中を通り過ぎて想う
苫小牧を抜ける。
駅前は高層ビル(僕の住む町は田舎なので、五階以上のビルは高層と認識)が立ち並ぶ。
そこに向かってサラリーマンが、黒いバッグを片手にうつむいて歩いている。
その中を汚い顔をした、ずぶ濡れの旅人が通り過ぎる。
進む方向も生きる方向も真逆の僕たちはお互いに何を想うのだろう。
彼らのバッグには責任と野心が。僕の自転車には夢と社会からの疎外感が詰まっている。
彼らは家族の為に家を出て、僕は自分の為に家を出た。
でもどちらも家に帰ったら温かいスープが待っている。
苫小牧を抜けたらもう大丈夫!あとはかあちゃんが待っててくれる(⌒∇⌒)
苫小牧を抜けたらまた北海道らしい一本道。自宅までひたすら走るだけだ。
それにしても雨がひどい。太平洋から吹き付ける風も強く、下を向いてペダルを踏む。
1時間くらい走ったら、田舎の国道によくある自動販売機の列があったので缶コーヒーで温まることにした。
缶コーヒーを両手で包んでレインジャケットの下に入れておいた煙草を取り出す。
12日間雨に打たれたレインジャケットももう限界なのか、僕を雨から守ることなく煙草もずぶ濡れだ。
名残惜しくて一本取り出すが、真ん中あたりで折れた。
握りつぶして旅の余韻と一緒にゴミ箱に放り込む。
あと少しで・・・最後のアクシデント
白老市街(しらおい)に入る少し前、白老インターに繋がる交差点付近を走っているとき。
うつむいて走る目の前に尖った大きな鉄板の切れ端が見えた。
前のタイヤは辛うじて回避できたけど、後ろのタイヤが間に合わず、鉄板を踏んずけてパンクしてしまった。
ここまで毎日の様にパンクするけど、空気の抜ける瞬間はやっぱりイヤだ。
歩道に自転車を上げてパンク修理。
海に面した道路なので風を遮るものがなく、今朝の片づけよりもさらに手が震え力が入らない。
それでも焦る気持ちと不安を必死に抑えて、気持ちごとチューブをタイヤに押し込む。
何とかハマって携帯型の空気入れでタイヤに命を吹き込む。
「この作業もこれで終わりかぁ」
なんて思いながら最後にもう一回ポンプを押し込んだら
パン!
と、目の前の「タイヤが」「破裂」した。
どうやらさっきの鉄板がタイヤの中に残っていて、空気の入ったチューブに押されたようだ。
いつもならチューブを入れる前にタイヤの中に異物が入っていないか確認するけど、その時の僕にそんな余裕はない。
裂けたタイヤを目の前にこれからどうするかを考える(実際には見る気にもならず歩道に暫くへたり込んだ)
とりあえずこれ以上進めないので、どうにかピックアップしてもらうしかない。
自宅からは車で1時間くらいなので、とりあえず贔屓の遠藤サイクルに電話をする。
「おとうさん今出たから1時間は帰ってこないわ~」
そりゃダメだ。
かあちゃんに電話する
「ごめ~ん、いま出てる~」
そりゃダメだ。
さてどうするべ…
2回目のヒッチハイク
もうしょうがない。ヒッチハイクをして帰るしかない。
ヒッチハイクは宗谷岬でやったのでもう慣れたものだ。心を静めてサムズアップ。
横には荷物を積んだ自転車。そりゃダメだ。
と思ったら10分くらいで大型トラックが停まってくれた。
運転手のおじさんは何も言わず荷台を開けて、20キロある自転車を片手で積んだ。
僕は「お願いします」とだけ言って助手席に座った。
10tトラックの助手席の視界は広く、遠くまで見える。
うつむいて地面ばかり見ている僕の視界とは全然違う。
おじさんがあまりにも無口なので
「このプシューって音なんですか?(排気ブレーキの音)」と知っていることを聞いてみる。
流されたので無言で景色を眺めていたら
「で、どこまで行くんだ?」と聞かれたので経緯を説明して
「〇〇まで行きたいです」って言うと
「本当はその手前までしか行かないけど、その先はトラックが走らない。その荷物じゃ誰も乗せてくれないだろう。場所がはっきりしてるならそこまで行ってやる」
うォォォォ!ナイスおじさん!宗谷岬の運ちゃんといい、トラックドライバーはなんて優しいんだ(´;ω;`)
結局町の真ん中にある遠藤サイクルの目の前まで乗せてくれた。
こちらを振り返ることもなくUターンするトラックを見送って遠藤さんに声をかける。
「おお!帰ってきたか!きたねぇ顔になったな」「日焼けさ~」とか1時間くらい話をして、落ち着いたらメンテナンスに来るとだけ言って、いよいよ。あと30分。さあ帰るぞ。
帰宅
僕の住む町は大きな工場が立ち並び、煙突からもくもくと煙が出ている。
錆びたプラントは僕の心を暗くする。
それでも家族の顔を想像すると気持ちは晴れ、ペダルに力が入る。
アパートに着いて自転車を担いでドアを思い切り引っ張る
ガン!
鍵がかかっている
あれ?寝てるのかな?
自転車に取り付けたバッグの奥から鍵を取り出す。
寝ているので小さな声で「ただいまぁ」
息子が走って・・・来ない・・・
寝室をのぞく。いない。
帰ってきた僕を労うために買い物にでも行ったかな?
とりあえずズブ濡れの服を洗濯機に放り込んで湯船にお湯を溜める。
湯船に浸かるのは音威子府の温泉以来だ。
なんとも言えない「あ”あ”あ”~~」と声を出してゆっくり浸かる。
風呂から上がった僕の顔の日焼けはきれいに落ちていた。
何はともあれ、疲れたので布団を敷いて横になる。あっという間に夢の中。
玄関を開ける音が聞こえた。
妻と息子が帰ってきた。
実に12日ぶりに顔を見る。
「ただい…」 「荷物出しっぱなしじゃ~ん。早く片づけてよ」
北海道縦断を終えて
妻の提案と、妻の周りへの宣言で始まった12日間の旅。
その旅を14年ぶりに振り返った今回の「若かりしころの思い出。おとうさん北海道縦断物語」
当時の日記が残っていたとは言え、自分でも驚くほど覚えていた。
それだけ毎日が大変で、刺激的に満ちていたのだろう。
北海道縦断と言っても、北海道一周や日本縦断、世界一周の旅に比べれば大したものではない。
実際の行程も2週間に及ばない。
当時も、毎日自転車を漕いでテントを張るだけだった以外の感想しかなかった。
でも、いまこうして14年ぶりに振り返ると、よく行ったなと思う。
当時はまだ持病の統合失調症の症状が顕著で、幻聴もバリバリ聞こえていた。
ただでさえ凄いことをその症状を抱えたままなのだから、いまになって自分を褒めたいと思う。
あなたにもできる
若いからできたんだよ。
これを読んだ人でそう思った人もいるでしょう。
でもその時の僕は30代半ばです。大学生が多い旅人の中ではちゃんとしたおじさんポジションです。
確かに妻や子供がいると難しいかもしれません。
けれど1泊か2泊くらいの旅なら連休に行けるはずです。
そんなの旅じゃない。
そう言われるかもしれませんが、隣町の空き地でテントの中で過ごす夜は冒険と呼ぶには十分で、公園の隅で見る朝日は旅を感じさせてくれます。
要はやってみることです。
出来ない理由、やらない言い訳は簡単だし、いくらでも出てきます。
でもそれじゃなにも変わらないし、面白くない。
難しければ難しいほど、出来る可能性を探ると楽しいし、出来たときには大きく変わります。
旅から帰った次の日にはいつもの生活がはじまり、「自信が付くかも」と思っていましたがそんなことはありませんでした。
でも、今こうしてブログという形で皆さんに見てもらい、少なからず「楽しみにしてる」と言ってもらえています。
14年後の自分に自信とやりがいを与えてくれています。
いまあなたのやっていること、そのことに意味を感じられていないかもしれません。
でもいつか振り返ったときに、意味が産まれるかもしれません。
そのためには、今必死に生きることです。
一生懸命、一所懸命に生きることです。
それが若かりしころを振り返って感じた、おとうさんからのメッセージです。
完
- 走行距離:71㎞
- 走行時間:4時間21分
- 総走行距離:1203㎞
- 平均速度:16.2㎞
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